「JOKER」を見て考えたこと

話題の映画「JOKER」を見てきました。

一歩引いて映画としてみれば、映像も、演出も、演技も、脚本も、音楽も、編集もとてもすばらしく、完成度の高いもので、辛いながらも、悪でありながらも(あるいはだからこそ)美しい映画、として後世に残るものでしょう。

ただ、引き込まれる映画だからこそ、ストーリーというか話の中身について、意見を言いたくなってしまいます。これは映画というフィクションを、本当の話として捉えてしまっているからでしょう。そしてだからこそこれは素晴らしい映画です。

私の意見は、一言で言えば、「大変なのは十分分かるが、だからといってあなたがジョーカーになるのとそれ(この不公平でなにかがおかしい社会の中で生きていくこと、生きていくためにジョーカーとしてこの不公平でなにかがおかしい社会に対峙すること)とはちょっと話が合わないのではないか」というものです。私としてもこの映画の中でのデニーロのように正論をぶつつもりはありません。ただ、辛い中でも、不公平でなにかがおかしい社会の中でも、なんとか生きている人はいっぱいいるし、悪いことをしながらもうまくやっている人も多い。というか程度の差こそあれ(その程度の差こそが問題なのかもしれませんが)みんなそうなのだから、「正義」ではなく「悪」としてあなたがこの世の中に対峙するのであれば、「悪」としてのあなたにとっての憎むべき対象としての「敵」はこの「社会」、あなたにとってもおそらく多くの人にとっても何かがおかしい、なにかが間違っているこの社会ではないでしょう(いわゆる「正論」をぶつ金持ち連中は確かに「敵」かもしれませんが)、ということです。

でも、ここまで書いて思ったのですが、このねじれこそがジョーカーという存在とジョーカーの登場する一連の作品の特徴でもあると言えます。「正義」を「世の中(社会)を正すもの」と定義すれば、そして「悪」にとっての敵を「正義」とすれば、その「敵」である「正義」は即ち「正しい社会」となるはずです。しかし社会がゴッサムシティのような「正しくない」状態にあれば、むしろそれは「悪」にとって望ましい状態であり、敵として憎むべき状態ではない、ジョーカーは今の正しくない状態の社会が生み出したものでそれを恨んでいるが、しかしジョーカーが望んでいるのは決して「正義」としての正しい社会ではなく「悪」としての正しくない社会である、という「ねじれ」です。そしてそれは「正義」とは?「悪」とは?という問いを生み、そしてそれはいわゆる「ヒーロー映画」に対する根本的な問題提起となります。この映画の中ではジョーカーは(というよりもジョーカーのトレードマークであるピエロ顔は)今の社会に対して不満を持つ者たちにとっての象徴として描かれています。しかし「悪」としてのジョーカーはそのようなデモ隊の象徴として収まるような存在ではないはずです。この映画では、まだ、ジョーカーはジョーカーとして生まれたばかり、まだジョーカー自身がピエロの仮面を被っているような段階です。そしてこれからジョーカーはジョーカーとして、つまり「悪」としてどう成長していくのか、それを見たくなりました。