映画:「マイルスデイビス空白の5年間」

ロバートグラスパーによるサウンドトラックはすでに聞いていましたが、改めて映画「マイルスデイビス 空白の5年間」を見ました。日本公開時の評価もあまり芳しくなかったので正直期待していませんでしたが、そのような期待に反し、なかなかの映画でした。もっと高い評価をされてしかるべき作品だと思います。

似てはいませんが主役にして監督のドン チーゲルはまさにマイルスを演じています。おそらく評価が低いのはみなこれを伝記的映画として見てしまうからでしょう。日本版のタイトルはまさにそうさせるようなタイトルです。原題の「Miles Ahed」のままで良かったと思います。当然ここで描かれているようなストーリー、レコーディングテープを巡ってカーチェイスをしたりピストルをぶっ放したり、は事実ではありません。しかしそこで描かれているマイルスという人物はある程度以上に本物に近いでしょう。才能溢れる人間、自信家、親分肌というか親分ぶりたがる性格、そしてジャンキーにしてギャング、しかし気が弱いし、実際に喧嘩はそれほど強いわけではない(ハッタリは強いが)、女に弱くまた女に対しても強がりたがる、そんな愛すべき嫌われ者、憎まれ者にして愛される者としてのマイルスの苦悩と弱みとそれを隠すためのハッタリをドン チーゲルは見事に演じていますし、また映画としても映像としてもそれをうまく描いています。

そしてもちろん音楽です。マイルスの名曲の数々をこれでもかと使うことができる。それだけでこの映画はもう十分に魅力的です。シーンに音楽を合わせたというより音楽にシーンを合わせたと言ってもいいでしょう。監督としてのドン チーゲルのマイルス愛を感じます。そして最後の復活コンサートシーン、これはもう映画のストーリー上の復活コンサートではなく、まさにマイルスを今の時代に復活させたコンサートです。ハービーがいる。ウェイン ショーターがいる。そしてそれだけでは単なるノスタルジーですが、一方でドラムにアントニオ サンチェス、ベースにエスペランサ スポルディング、ギターにゲーリー クラーク ジュニアと今のトップを揃えています。恐らくドン チーゲルはこれがやりたかったのでしょう。マイルス役は自分ではないとしてもこのライブを実現したかったのでしょう。マイルスが消えてもマイルスの音楽は死んではいない。映画にあったシーンのようにトランペットが吹けなくなったとしても、キーボードでコードを奏でることしかできなかったとしても、マイルスの音楽はそれを愛するもののなかで響き続けるし、更に言えば音楽をわからないものにさえも響く。映画はストーリーではなく力(エネルギー)だということを以前何かの時に書いた気がしますが、この映画もそれを感じさせるものでした。マイルスという人物についての映画ではなく、マイルスという存在を映画化した映画。それも粗雑に力(エネルギー)だけをぶつけるのではなく、きちんとプロフェッショナルたちの腕を使って。マイルスファンだからというひいき目を除いたとしても、このような映画が埋もれてしまうのはもったいないです。