バーニング(劇場版)
村上春樹の短編小説をイ・チャンドン監督が再構成というか再解釈した話題の映画「バーニング(劇場版)」を見てきました。
「劇場版」とわざわざ言っているのはNHKが制作に関わった関係上「ドラマ版」というのが日本では昨年末に放映されていたからです。
そちらのドラマ版も見ましたが、劇場版はまた違ったものとなっていました。
感想は、と言うと、村上春樹の短編が意図して謎を謎のまま残しているのに対し、こちらの映画はそのストーリー上の謎は映画オリジナルのストーリー上で明かしつつもしかし新たな謎というかもやもやというか不穏なものを見るものに残すようなものとなっています。そしてそれは「映画とは何か」「物語とは何か」というある意味根本的な問いにさえも見るものに促すようなものとなっています。
この辺りはいつか改めて文章にまとめたいと思いますが、今回は覚え書き的にその時に使いたいタイトルを挙げておきたいと思います。それは「不穏と不安、あるいは創造/生産の契機としてサスペンス」というものです。この映画は構成(ジャンル)としてはサスペンスというものに分類されるでしょう。しかしここでいうサスペンスとは単なる謎解きではありません。そしてこのサスペンスは創造/生産の連鎖を生むものです。村上春樹の短編がこの映画になったように、そしてこの映画を見たものが次の何かを生み出すように。