勝手に2本立て:オープンプロセスとしての是枝作品

あまり知られていないようですが、「ドコモチューズデー」というのがあり、NTTドコモ回線を10年以上使っている人は火曜日にイオンシネマで映画を1100円で見ることができます。

ということで「万引き家族」を見てきました。

一言で言うとこれまでの是枝作品の集大成と言えるでしょう。

この家族に肩入れすることもできますが、引いて見ることもできる作りとなっており、物事を一つの視点で見てわかったつもりになってしまうことに対しての問いを投げかける作品です。愛すべきダメ人間たちが軽蔑すべきダメ人間でもあり、だからこそ知らないことにしてしまえば済むのですが、知ってしまった以上は知らないことにすることはできない。そういう存在やテーマを是枝映画はこれまでも愛を持って描いてきましたし、しかしそれは決して同情しているわけでもない、ある程度以上突き放して描いてきたと思います。今回の「万引き家族」もそういう映画でしたしそれを徹底していました。だからこそ見ている人は考えさせられる、そこには登場人物の言動の矛盾していることがしっかりと矛盾していることとして描かれているからこそ、見る人は考えさせられてしまう、そういう映画でした。

しかしちょっと今回の「万引き家族」はタイトルこそは「万引き」という軽犯罪ですが、映画の中ではより重い犯罪も直接的ではないですが、間接的、背景的に出てきてちょっと重いかな、という感じもあり、帰宅後、アマゾンプライムビデオで配信していた「海よりもまだ深く」も見てみました。こちらはコメディ的な要素もあり、出演者や昭和歌謡からの引用であるタイトルがそれを示していますが、「歩いても歩いても」の続編のような映画です。しかし軽いか重いかという素材の問題はともかく、その描きかたのアプローチには共通点があります。その共通点とは事実を淡々と描きながら、それを通してそこにあるいわゆる普通ではない家族関係を描き出し、そしてそれを肯定する、同情や共感というアプローチではなく、ズレや矛盾をそのまま提示することで見ている人にそれを受け入れさせ、そして考えさせるような構造、構成となっているという点です。ハッピーエンドかバットエンドかという「エンド」は正直どうでもよく、映画という2時間ほどの「プロセス」において見る人を揺らがし、考えさせるという点では是枝作品はまさに映画を一つの体験、それをどう捉えどう理解するかは見ている人次第という「オープンプロセス」として、提示していると言えるでしょう。そしてそれがある意味「体験」としての映画の本質であると言えます。

ドキュメンタリー出身であることもあり「ドキュメンタリー的」と評されることの多い是枝作品ですが、ドキュメンタリー的ということは撮影の仕方や子役の使い方のようなテクニックの問題ではなく、そこには矛盾があるしなんらかの作為による方向付けがあるものではないという点にこそあります。そしてそれこそが「現実」であり、「現実」にできる限り手を加えない形で提示するものとしてのドキュメンタリーであり、映画であり、それこそが見る人に対し、「自分で考える」ということをさせるものなのです。

いい映画を見ました。