映画:「変態だ」

このブログでは自分なりの映画評のようなものも書いていますが、だんだん自分の好みというか評価ポイントがわかってきました。それはスキッとするとともにモヤモヤの残る映画、それが私が好きな映画だということです。「変態だ」はテーマだけではなく映画としても「変態」(変な形態という意味で)な映画ですが、同時になんとも魅力的な映画でスキッとした爽快感とエッ、もう少しどうにかできたんじゃないのモヤモヤの残る映画です。

爽快感のほうはストーリー的にはこれが一種の自分発見、アイデンティティの発見の映画だからでしょう。変態としてのアイデンティティに悩み、そして克服しそれを肯定する。一言で言えばこれはそんな映画だと捉えました。そしてそのためには犠牲にするものも多いがそれを受け入れなければならない。それがこの映画のメッセージだと捉えました。また映像、演出的にはこれがみうらじゅんの人脈なのか安斎肇監督の人脈なのか一流の撮影と一流のカメラマンや音楽陣が担当しています。かっこいい映像にかっこいい音楽、そしてバカなストーリー、この組み合わせが爽快感を加速させます。

そしてもやもやのほうはストーリー的な部分で、後半の雪山でのクマとのアクションのところが「えっ、これ、わざとなの。それともお金やなんかの大人の事情でこういうまとめ方にするしかなかったの」と思ってしまうというところにあります。以前ペドロ・アルモドバル監督を論じたときに書いたかもしれませんが、コメディーとドラマは根っこのところでは共通しています。ただ、そのバランスが中途半端だと映画全体もと中途半端になってしまうので、どちらかに振り切るか、あるいはどちらかをメインとして基盤を作って置いた上でそこにところどころもう一つを入れ込むというような形にする必要がある、と個人的には考えています。その意味では今回のアクションシーンもアクション自体やそのある意味バカバカしさもそれはそれでいいのですが、そのベース部分を、基盤部分を「ドラマ」メインで行って欲しかったと思います(この映画の音楽の基盤として「ロック」というのがあるように)。ただ、繰り返しますが、このように映画を観た後であれこれ考えさせる、こういうやり方もあるんじゃないの、と考えさせてくれる映画が私にとってのいい映画なのです。故にこの映画はいい映画です。観た後にそれなりの感動はあってもあまり後に残らない、後に糸を引かない映画はそれだけの映画です。

ということで以下は個人的な意見でありアイデアですが(以下、映画を観ていない人にはわからないでしょうし、あくまで違うストーリーを描くのでいわゆるネタバレにはなりません)、雪山で意識を回復した時には目の前に妻がいて、隣にはクマに下半身を食われた愛人(愛人という言い方がこの映画においては適切とは思えないですが)の死体があった。妻は(しかし実はこれも彼の幻想かもしれない)、全てを認めた後で、それでも夫を愛している、夫の歌が好きだと言う。そしてそこにクマが現れる。そこで夫は妻と自分を守るためにそこにある楽器や道具(これが彼のアイデンティティを形にしたものである)を駆使してクマと戦う、というような流れです。そしてここは前半部分の妻とのセックスシーンがそうであったように、びちゃびちゃやぐちゃぐちゃした音を効果的に使って欲しかった気がします。

と、まあ意見も書きましたがこれもこの映画が魅力的、ここに出てくる人間たちが魅力的だからこそです。