勝手に2本立て:GODZILLAとシン・ゴジラ

アマゾンプライムビデオで公開していたのでハリウッド版のGODZILLA(2014年版)を見ました。

最初のうちはなんとも言えない不快な気分になりました。それは「原発事故、地震、津波をネタにしないで」という思いだったと思います。

今でもそう思うのですから2014年時点ではそう感じた人はもっと多かったでしょう。ここで描かれている日本はアメリカから見た震災、原発事故時の日本で、そこにはニュース映像的事実はあるでしょうが、ニュース映像的であるからこそ生活感、そこに生きている人がいる、苦しんでいる人がいる、戦っている人がいる感は正直あまり伝わってきませんでした。

しかし次第に映画としての魅力には引き込まれていきます。これは舞台が日本からハワイ、そして米国本土へと移動していったこととも関係してくるのかもしれません。特に怪獣の撮り方、怪獣の出し方、怪獣が出てきて暴れるシーンは素晴らしく、怪獣映画、怪獣パニック映画としては素晴らしい出来であることは否定できません。この映画ではGODZILLAは悪役というよりも謎の存在で、いわゆる悪役怪獣はムトーという鳥型の怪獣なのですが、それが原子力、核の脅威と人間がそれをコントロールできないという事実を象徴しているものであることは間違いないでしょう。ではGODZILLAは何なのか。どうもGODZILLAは人間の、というよりも地球の味方のようです。ではGODZILLAは地球自体なのか、それともまさに英語表記でそうなるところのGODなのか。今後続編、続々編と続いていくようなのでそのあたりに注目して見て見たいです。

一方この流れで、すでに映画館で一度見ていたのですが、「シン・ゴジラ」も改めてアマゾンプライムビデオ見てみました。こちらはやはり日本のリアル、震災、原発事故後の日本のリアルがよく描かれています。GODZILLAがそうであったようにイメージとしての死の街を描くのではなく人が生きて動いている街を描いている、描けているところにやはり我々としては好感が持てます。そしてGODZILLAが怪獣ものであると同時に軍人ものであったのに対し、こちらは怪獣ものである後同時に政治もの、行政ものとなっています。そしてこちらはゴジラ自体が原子力、核の象徴、メタファーとしての存在です。人はそれをコントロールはできない、しかし被害を最小限に抑えることはできる、そのために必要なのは旧来型のシステムを崩すことだ、それがこの映画のメッセージでしょう。そしてそれはまさに今の日本へのメッセージであります。怪獣映画としての画面の質ではGODZILLAに軍配が上がりますが(そして怪獣映画である以上、それがいちばんの魅力でもあります。シン・ゴジラは映画館のスクリーンで見るより、家庭のテレビの画面で見た方が見やすかったです。映画館だとちょっとぼやけていたというか全体に薄くなっていたような記憶があります。一方のGODZILLAは映画館の大スクリーンで見た方が絶対面白いでしょう。)、ドラマとしてはシン・ゴジラに軍配が上がりました。ドラマといっても泣かせたり感動させたりするのだけがドラマではない、見る人を考えさせるという意味でのドラマです。